働くことについて考える 2020夏

2020/08/31
雑記

いつの間にか夏が終わるなーとか、夏が終わるにもかかわらずまとまった収入が無くてフラフラしてるなーとか思いながら、ぼんやりと自分の人生について考えたメモ書きになります。
要は自分語りですし、読みやすさとか考慮しません。

カバーイラスト

これまでのこと

社会人になって7年ほど、ソフトウェアエンジニアとして仕事してきました。問題解決とか企画とかアイデアとかを形にするお仕事ですね。 メーカー系のシステム会社で5年、フリーで2年。

ソフトウェアの設計したり実装したりわりと広ーくやるタイプの人で、 技術検証とかしながらとりあえず動くものをプロダクトのたたき台として開発検証するっていう仕事が多めでした。 開発環境の整備作業とかネットワーク管理者みたいなことも一部やってました。

技術力とアイデンティティ

仕事を始める少し前、大学時代からここ2年ぐらいに至るまで、ソフトウェア、プログラミングは僕のアイデンティティでした。

技術力を高めることは存在価値を高めることであり、存在価値を高めようと思えば技術力を上げればよかったわけです。 裏を返せばソフトウェアが無ければ自己が保てないということで、ちょっと危ういところがあるなあと今になると思います。 でもとりあえずしばらくは、求められるものとアイデンティティが一致していたので、ぼちぼち上手くいっていました。

しかし、ソフトウェアで解決できる問題というのはそんなに多くありません。 ソフトウェアが得意なのは定型作業の自動化であって、そうでない多くの問題に僕は無力でした。 人間関係であったり、健康であったり。そうした問題に直面する度に、自己を否定される。 そして、人生という粒度で見たとき、直面する問題のほとんどは、ソフトウェアで解決できない問題なのでした。

そうして一度心を病んだ後で、僕の興味関心はソフトウェアからより一般的な問題解決能力にシフトします。 ソフトウェアは問題解決のひとつの手段になったことにより、アイデンティティに占めるソフトウェアの割合は徐々に減っていきました。

無力感とやりがい

技術力でアイデンティティを確立する必要が無くなってくると、今度は仕事の意味を考えるようになりました。

もちろん、お金のために働いているわけですが、お金のために無心で働くということは僕はできなかった[1]ので、 ここではお金以外の部分を「やりがい」と呼んで、これについて書きます。

仕事のやりがいは長らく学習でした。これは技術力がアイデンティティでしたから当然と言えば当然かもしれませんね。 新しい仕事の初期は覚えることが多く、すなわち自己の成長にやりがいを見出して仕事をしていたわけです。[2] これは今でも変わらず、新しい環境に身を置くのは刺激的で充実を感じることも多くあります。 しかし、ソフトウェアの世界に長く身を置くことで学習曲線がなだらかになってきたことや、技術と自己が可分になってきたことにより、 だんだんと自己の成長というやりがいは薄れていきました。

そして、携わっていた仕事はBtoBの仕事で、仕事で作るものが何に役立つのか、僕には確信ができないものばかりでした。 僕が携わったソフトウェアは会社の売上には影響するのかもしれないけど、それが如何に社会に役に立ち、どれぐらいの人が幸せになったのだろうか。 もしかしたら多くの人が助かったかもしれないけれど、BtoBのシステムにあって、それは推し量ることができません。 手をかけたものがどうなったのかわからない。時にはプロジェクトが立ち消え虚無に消えていく。これは虚しくて悲しい。

では、効力感がある仕事や成果が見える仕事であれば、やりがいを持って働けるのか。これは経験してみないことには不明だなあと思います。

これからのこと

そういうわけで、今のところ必要にしているのはこんなものです。

  • 役に立つという成果が見えること
  • 成果が見えるまでもなく役に立つことが確信できること

役に立つということ

僕にとって人の役に立つことは、効力感を得る手段なのかというとどうだろう。 人の訳に立つというか、誰かが幸福を感じているとき、僕は幸福を感じるものですから、 これを自分の手で実現できると、それはより幸福なことだなあと思うわけです。

では、人の役に立つというのはどういうことか。
これは、個人によって何を求めるか≒何が幸福かは違うものですから、一概にはこうすればいいというものではないでしょう[3]

とはいえ、僕がこのあたりは人の役に立つと思える分野はこんな感じでしょうか。

  • 教育[4]
  • 健康
  • 習慣

まあ、バイアスはかかっているので、これが役に立つと確信はできないのですが。

そして、何が幸福かを考えることも活動の一貫であるカウンセリングは、より役に立つことが確信できるわけで、 これから力を入れていきたい分野というわけです。

成果が身近にあるということ

まあ上記の役に立つというのは理想論というもので、できたらいいなぐらいのものです。

そういうわけで、真に役に立たないものであっても、僕自身が満足感を得られるならそれはそれで価値があるので、 現実的な仕事としては、役に立つというのは一旦脇に置いて、成果が確信できるということを仕事にしたいなあと思います。

これでもやっぱり上手くいかないかもしれないけど、そのときはまた修正すればいいかなあ。

働く先に何があるか

働く先といいますか、この先僕は何に価値を見出すのか。わかんないですね。

わからないものですから、今ここで良いと思えることをするのがとりあえずは正しいかなあ。 何にせよ、仕事に追われた結果、働いている自分とありたい自分が乖離するのは避けたいなあと思う次第です。

直近のこと

ここ1,2カ月は個人的なサイト構築とか通話でカウンセリングを受け付けるための下準備とかしてました。

あとは有料で売る予定のゲームを作り始めました。

とりあえずあと2月ぐらい[5]はカウンセリングやメンタリングをしつつ、ゲームを作り、 いい仕事があったらそっちに乗り換えていこうかなあという予定です。取り組んだ結果を見て、また2カ月後にどう舵を切るかを決めることになるでしょう。

ゲームが人の役に立つかというと、これはかなり微妙なところですが、人の心を動かすという観点ではかなり可能性があるなあとは思います。 それに、自分で作って自分で売るというのは、確実に成果が見えることでもありますので、僕の満足感は間違いなく満たされることでしょう。 でもいつか役に立つようなゲームが作れればいいなあ。

と、まあ貯金を切り崩しながら活動はしているわけですが、そうはいってもお金は必要なので仕事は募集しています。
また、こういうキャリアとか一緒に考えてみたいなーって人でも気軽にご連絡いただければ喜びます。


  1. 守るべき家庭とかがあれば変わるかもしれない。

  2. そうして、いつの間にかジェネラリストなスキルセットになっていました。これは雇われとは相性が悪く悩みでもある。

  3. 世の組織はこれを定義して理念としているわけですが、理念が機能しているかとか、これに共感できるかとか、個が理念を駆動する余地があるかとか、求めるものが非常に多いので難しい。

  4. 教育を受ける側が望んでいる場合に限る。

  5. ぶっちゃけ2月で完成する気がしていないが?

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